中国でなぜモバイル決済が普及したのか

2019年6月17日 / 副主任研究員 汪 永香

 2019年の統計(注)によると、中国全土のモバイル決済普及率は86%にのぼり世界一となっている。都市部だけで見ると、ほぼ100%である。中国のモバイル決済の普及については、色々な原因が分析されている。例えば、中国政府の規制緩和、スマートフォンの急速な普及、偽札が多い、紙幣が汚れているなどである。しかし、これらの原因はいずれも表層的なものと思う。筆者は、中国のモバイル決済の普及は、事業者が国民の慣習や心理を巧みに利用し、ニーズに合った機能や利便性を提供したことが根本原因であると考えている。
 中国のモバイル決済市場では、Alipay(アリペイ)とWeChat Pay(ウィーチャットペイ)が二大巨頭であり、9割以上のシェアを占めている。Alipayは、中国最大のECモールであるタオバオでの取引の安全性を担保するツールとして、2004年に生まれた。一方、WeChat Payは、中国で最も利用されているSNSである WeChatの決済機能として、2013年に誕生した。
 WeChat Payは2014年の旧正月に、SNSの特性をいかし、中国人お馴染みの紅包(ホンバオ)、日本でいうお年玉サービス、「微信紅包」を始めた。「微信紅包」とは、WeChat上でつながっている友人間やコミュニティ内でデジタルの紅包を送受信できるサービスである。1回で送る紅包の数や総額、各紅包の金額を均等かランダムに配分するかは、送る側が自由に設定するが、開封するまで誰にも金額がわからないランダム方式がより好まれる。運試しとゲーム的要素が強いことから、「微信紅包」は、特に微信(WeChat)上の各コミュニティでたいへん盛り上がった。
 さらに、翌2015年の旧正月に、WeChat Payは、春節聯歓晩会(日本でいう紅白歌合戦)と提携し、中国全土に1億2000万件もの紅包を送った。このキャンペーンをきっかけに、WeChat Payは爆発的な人気を博し、ユーザー数はAlipayと並ぶまでになった。
 Alipayも負けじと、2016年旧正月に、春節聯歓晩会との単独コラボを開催し、「集五福」(ラッキーカード5枚集め)キャンペーンを行った。5枚のラッキーカードを集めた79万人は、Alipayが提供した2.15億元(日本円で約34億円)の紅包を山分けした。その魅力が大きかったことから、多くの中国人が、家族揃って、Alipayのアカウントを開設したという。
 このように、中国人の慣習や心理に見事に合致した紅包サービスやキャンペーンは、その楽しさや実利によって、モバイル決済ユーザーを急速に増やした。また、紅包をきっかけに、ユーザーは個人間の送入金などのサービスも抵抗なく利用するようになった。さらに特筆したいのは資産運用サービスである。
 Alipayは、2013年6月に「余額宝」(ユアバオ)というサービスをリリースした。これはAlipay内で利用できる投資信託預金のようなものである。ユーザーが当面使わないお金を「余額宝」に預けておくと、銀行の普通預金よりもはるかに高い利息が付く。しかも、面倒な手続きは一切なく、簡単に利用できる。リーマンショックにより、中国人は株や不動産市場のリスクを体験し、分散投資のニーズが高まっていた。手軽に高い利息を得られる「余額宝」は、メリットが大きく、瞬く間に多くの人から人気を集めた。
 WeChat Payも、2018年11月に、「零銭通」(リンチェントン)という「余額宝」と同様のサービスを開始した。「零銭通」は、ユーザーがお金を預けた場合の利息を「余額宝」よりも高く設定している。
 このほか、AlipayもWeChat Payも、ホテル、カーシェア、レストラン、出前などの生活サービスを、検索、予約から決済にいたるまで提供している。
 このように、AlipayもWeChat payも、モバイル決済事業体の枠をはるかに超え、高い次元の総合プラットフォーマ―へと発展を遂げている。中国人に合ったサービスを次々に提供し、ユーザーに高い利便性、大きな利益をもたらしている。これこそが、中国でモバイル決済が普及した根本原因と思われる。
 日本政府は、2025年にキャッシュレス率40%を目指しているが、各サービス事業者は、数字だけを追求するのではなく、生活者のニーズを満たした、確実な利益をもたらす施策が必要ではないか。

注:PricewaterhouseCoopersのGlobalConsumerInsight Survey 2019年
  (https://www.sohu.com/a/308234774_348231?sec=wd)