地政学的リスクとウクライナ、台湾、朝鮮半島情勢

2022年5月11日 / 主席研究員 丸山 秀樹

■地政学と地政学的リスク
 地政学は、国家の地理的条件と政治が密接な関係にあるととらえた学問であり、国際紛争が絶えなかった19世紀後半から20世紀前半にかけて隆盛となり、今また世界各地で発生する国家間の紛争や政治動向、国際関係などを分析するうえで非常に重要な役割を担っている。
 地政学は当初、欧米の学者や軍人注1から「ハートランドとリムランド注2」「シーパワーとランドパワー注3」などの考え方が示されて盛んな議論がなされたが、ナチスドイツや旧日本軍による領土拡大を正当化する論理注4として利用されたという批判もあり、戦後は低調になっていた。また、東西冷戦時は資本主義VS共産主義という「イデオロギーの対立」が先鋭化したこともあり、地理に重点をおく地政学は下火の時期が続いた。さらに、冷戦が終結したのちの1990年代から2000年代までは、グローバリズムの浸透によって国境の垣根が低くなったことで過去の学問となりつつあった。しかし、中国の台頭やロシアの軍事行動が活発化している現在、再び脚光を浴びている。
 ちなみに、米国の政治・地政学者スパイクマン注5は、国家の平和と安全が危機に陥った時に、国家間の関係を条件づける「根本的で変化しない要因」は、世界の大陸における「地理」の要素であると説き、地政学的な「地域」とは、地図上で示される普遍的な地理に加えて「パワーの中心地における大きな変化」によって決定されるとしている。
 そして“地政学的リスク”とは、明確な定義はないようだが、一般的には「ある特定の地域が抱える政治的・軍事的な緊張の高まりが、地理的な位置関係により、その特定地域の経済、もしくは世界経済全体の先行きを不透明にするリスク」と解されている。
本コラムでは、今なお戦闘が続くウクライナ、中国との関係に揺らぐ台湾、ミサイル実験を続ける北朝鮮を巡る朝鮮半島の情勢について、地政学的視点を含めて概観してみたい。

注1:
英国の地理学者ハルフォード・マッキンダー(1861年~1914年)や、『海上権力史論』を著わした米国の海軍将校アルフレッド・セイヤー・マハン(1840年~1914年)などが著名。

注2:
地政学では、ユーラシア大陸の中心部をハートランド(心臓部)と呼ぶ一方、同大陸の沿岸部のことを、ハートランドのリム(周縁)という意味でリムランドと呼ぶ。
現在のロシアのほとんどはハートランドに属し、地形的には平坦だが寒冷な場所が多く人口密度が低い。対する西欧諸国はユーラシア大陸の西端に位置する半島とみることができ、その多くはリムランドに属している。比較的温暖で経済活動は活発で人口も多い地域である。
歴史的に、ヨーロッパでは厳しい環境のハートランドの国が豊かなリムランドの国に侵攻し、リムランドの国はそれを防衛するために勢力圏をハートランドに広げようとする。そこで、ハートランドとリムランドの境目にある地域(中東や東欧など)では、紛争が起こりやすくなる。

注3:
地政学では、ユーラシア大陸にある強大な国家を「ランドパワー」、国境の多くを海に囲まれ、港を含む海上交通路や経済拠点のネットワークを持ち、海洋を支配、利用するための総合力を有する海洋国家を「シーパワー」と呼ぶ。歴史上においては、強大な力を持ったランドパワーの国が、さらなるパワーを求めて海洋に進出し、シーパワーの国と衝突する現象が繰り返されるとする。
具体例として「ランドパワー」にはロシア、中国などが該当し、「シーパワー」としては米国、イギリス、日本などがあげられる。

注4:
いわゆる「ドイツ地政学」を理論体系化したカール・ハウスホーファーが、同時代人であるアドルフ・ヒトラーと互いに影響し合ったといわれる。ハウスホーファーはドイツの生存圏を東方に求める形で理論体系を作り出し、実際に行われたナチスドイツの対外拡張政策の論拠とされた。「歴史を通じて地図上で常に形を変えてきたドイツ」だからこそ、他国の脅威に対する極めて現実主義的な対応策として、地政学が利用されたのは自然な流れであったともいわれる。
地政学の祖と言われるハルフォード・マッキンダーも、ハートランド(ロシア)近隣地域である東欧で紛争が起きやすいとして、「東欧を制する者が世界を制する」と主張した。果たせるかな、第1次世界大戦はオーストリアの皇太子が暗殺されたサラエボ事件、第2次世界大戦はナチスドイツとソ連によるポーランド侵攻で始まった。今なお、ウクライナをはじめとして、東欧諸国付近は紛争から逃れられない状態にある。
また、ドイツ地政学は戦前期の日本においても盛んに研究され、実際に大東亜共栄圏などの構想に反映されたと考えられている。

注5:Nicholas J. Spykman (1893年 – 1943年)
広大で資源に恵まれているハートランド(ロシア)が、実はウラル山脈以東では資源が未開発な状態で農業や居住に適していないために、人口が増えにくく工業や産業が発展しにくい反面、リムランドは温暖湿潤な気候で人口と産業を支える国々が集中している点にスパイクマンは着目し、「リムランドを制するものはユーラシアを制し、ユーラシアを制するものは世界の運命を制する。」と主張した。

■ウクライナ情勢
 ウクライナは、ハートランドであるロシアとリムランドである西欧諸国の境界にある国であり、地図上においてはリトアニア、ラトビア、エストニアのバルト3国やベラルーシなども同じように境界にある。このため、ウクライナを含めたこの5カ国は地政学的に紛争が起きる可能性の高い地域である。
 ロシアのプーチン大統領がウクライナを敵対視した大きな理由としては、ウクライナが東へと勢力圏を拡大するNATO(北大西洋条約機構)への加盟アプローチをしたことがあげられるが、これはロシアにとっては安全保障上の脅威である。また、EU(欧州連合)加盟申請も、ウクライナが西欧の経済圏に属することを意味し、ゼレンスキー政権の欧米寄りの政治的立ち位置が、同国をロシアの経済圏に取り込みたいプーチン大統領を刺激した。
 ただし、ロシアとウクライナの緊張関係は最近始まったことではない。2008年に勃発した南オセチア紛争が、ロシアによるウクライナ軍事進攻の前哨戦ともいわれる。北京オリンピック開催中の2008年8月7日、南オセチアにおいてグルジア(ジョージア)軍と南オセチア軍が軍事衝突。翌8日にロシアが軍事介入したのである。
 グルジアは、コーカサス地方と呼ばれる黒海とカスピ海に挟まれた地域にある国で、面積は日本の1/5ほど。主な民族はグルジア語系グルジア人で、紀元前からこの土地で暮らしている民族である。

外務省ホームページより

 黒海とカスピ海に挟まれた交通の要所に位置するグルジアは、6世紀にビザンツ帝国やペルシャに侵攻されて以降、つねに他民族から侵略を受け続けてきた歴史を持つ。19世紀になるとロシア帝国に併合され、1922年ソビエト連邦結成に参加。91年にソ連邦が崩壊すると共和国として独立した。
 その後、2004年にグルジアの大統領に就任したサーカシヴェリ大統領は、米国留学の経験もあり、グルジアのNATO加盟実現を目指し、親欧米政策を進めてきた。しかし、CIS(独立国家共同体:ソ連から独立した国々の共同体)に加盟している各国を外交の最優先地域と位置づけているロシアは、NATO加盟を求める動きに加え、以前から南オセチアおよびアブハジア問題注6を巡り、グルジアと緊張関係にあった。そして2008年4月、NATOが実施時期を未定としながらもグルジアの加盟に合意したことを受けて、同年8月7日、遂に開戦に至る。ロシア側には、グルジアからの分離を目指す南オセチアやアブハジアも参戦した。
 一方、ウクライナでは2013年11月、親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領がEUとの連合協定をめぐる交渉を停止したことで、EU加盟に賛成する野党やヤヌコーヴィチ政権の汚職を批判する市民が大規模な反政府デモを起こした。2014年2月半ばにはデモで100名以上の死者を出すに至り、ヤヌコーヴィチ氏はロシアに亡命。代わってヤツェニューク首相が暫定政権を発足させた。
 ところが、これにロシアが報復措置ともとれる動きを見せる。2014年3月、黒海に面したウクライナ領クリミア半島内の自治領「クリミア自治共和国注7」にロシアが自国民保護の名目で侵攻し、こうした中で共和国政府とセヴァストーポリ特別市注8が一方的に独立を宣言。違法な住民投票が行われ、ロシアはクリミア半島を違法に併合した。以降、ロシアによる一方的な占領状態が続いている。ちなみに、クリミア半島にはロシア黒海艦隊の基地があり、ボスポラス=ダーダネルス海峡を経て地中海へと抜けられるため、ロシアにとって軍事的な要衝となっている。
 ロシアによるクリミア不法占領を受けて、ウクライナ東部でも情勢は急激に悪化。ドンバス地方ではロシアへの編入を求める武装勢力が「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を自称し、一方的に独立を宣言。ウクライナはこれらを反政府武装勢力とみなし、占領された地域を取り戻すべく反テロ作戦を実施。戦闘状態に入った。
 その後、ウクライナ東部での紛争激化を受けて、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4カ国は、和平プロセスを定めた「ミンスク合意」(2014年:ミンスク1、2015年:ミンスク2)を締結。2015年の「ミンスク2」の主な内容は、武器の即時使用停止、外国部隊の撤退、OSCE(欧州安全保障協力機構)による武器使用停止の監視、ドンバス地方の「特別な地位」に関するウクライナの法律採択、OSCEの基準に基づく前倒し地方選挙の実施などである。
 しかし、ロシアとウクライナは、ドンバス地方でロシアを後ろ盾とする武装勢力が実効支配する地域に高度な自治権を持たせる「特別な地位」を認めるという条件や、ドンバス地方で実施される地方選挙のタイミングなどをめぐって対立する。
 ウクライナは、ミンスク合意に記された内容をどのような順番で履行するのか、動向次第では武装勢力の不法占領状態に法的根拠を与えることのなりかねないと懸念し、徴兵制の復活を含めて軍備増強を進めた。また、2019年2月には憲法を改正し、将来的にEUおよびNATO加盟を目指す方針を明記した。
 2019年5月に就任したゼレンスキー大統領は、親EU路線をとりつつもロシアとも対話の用意があると表明。2020年7月、ようやくウクライナとロシアを後ろ盾とする武装勢力との間で停戦合意が実現したが、2021年に入ってから停戦合意違反が増加。死傷者が相次ぐ事態となった。
 2021年4月および10月以降になると、ウクライナとの国境付近でロシア軍の増強が確認される。ロシア側は、NATOがウクライナを軍事的に支援し、ウクライナもロシアとの国境地帯に軍を集結させていると主張し、自らの軍事行動を正当化しようと企図したのである。また、2021年12月10日、ロシア外務省は、ウクライナとジョージアの将来的なNATO加盟を認めた2008年NATO首脳会議の決定取り消しを求める声明を発表。NATOがこれ以上拡大しない確約や、国境付近での軍事演習の停止を要求した。
 しかし、米国国務省は「ロシア政府は、ウクライナとの国境に10万人以上の軍隊を配備し、現在の危機を引き起こした。ウクライナ側には同様の軍事活動はなかった」とロシア側の主張を否定。NATOは2022年1月24日、ウクライナ情勢の緊張悪化を受けて東ヨーロッパへ艦船や戦闘機などの増派を決定した。2月に入り、米国が兵士3000人を東欧へ追加派兵するなど、NATO諸国は引き続きロシアへの対抗措置をとっている。
 一方でロシアは、隣国ベラルーシとの合同軍事演習を2月10日〜20日まで実施。ウクライナを取り囲むように13万人規模ともいわれるロシア軍が展開し、黒海にも艦隊を派遣した。2月18日にはアメリカのカーペンターOSCE大使が、「ロシアがウクライナの近くに展開する軍隊は最大で19万人規模」と述べ、警戒感はさらに強まった。
 2月19日、G7(主要7カ国)はドイツ・ミュンヘンで緊急外相会合を開き、ウクライナ情勢に関する共同声明を発表。声明では「ウクライナ周辺、違法に併合されたクリミア、及びベラルーシにおけるロシアの威嚇的な軍備増強について引き続き重大な懸念」を表明する。同地では「安保のダボス会議」とも言われるミュンヘン安全保障会議も18〜20日かけて開かれ、これに合わせて議長国のドイツが緊急会合を開いた。その共同声明では、ロシア軍の集結について「欧州大陸における冷戦終結以来最大の配備であり、世界の安全保障及び国際秩序への挑戦」として非難する。
 2月21日、緊迫状態が続いていたウクライナ情勢は重大局面を迎える。プーチン大統領がテレビを通じて国民向けにスピーチし、ウクライナ東部ドンバス地方で「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を自称し、ロシアを後ろ盾とする武装勢力が実効支配する地域について、国家として承認すると述べたのである。これは、ロシア自らがウクライナに履行を要求していた「ミンスク合意」の内容を覆したことになる。
 これに対して同日、米国のバイデン大統領がゼレンスキー大統領、フランスのマクロン大統領やドイツのショルツ首相とも電話会談し、ウクライナの主権と領土の一体性を支持すると表明。プーチン大統領がウクライナ東部の武装勢力が実効支配する地域を独立国家として承認したことを強く非難した。
 2月24日、プーチン大統領はウクライナ東部ドンバス地方で「特別軍事作戦」を実施すると発表。事実上、ウクライナ領へのさらなる侵攻を表明した。これを受けてバイデン大統領は、「破滅的な人命の損失と人的苦痛をもたらす計画的な戦争を選択した」とプーチン氏を非難。
 同日、CNNやワシントン・ポストのレポーターは、「ウクライナの首都キエフや国境に近いハリコフなど各地で爆発音があった」と相次いで報告。このほかキエフ東部のボルィースピリ空港近くや、東部ドネツクから北に約120キロにあるクラマトルスク、南東部のマリウポリやザポリージャ、黒海沿岸のオデッサなどの都市で爆発音の情報があると伝えられた。ついに惨劇の帳が開いてしまったのである。
 3月末現在、ロシアとウクライナによる停戦協議が継続している。非常に難しい課題だが、ウクライナにとっての今後も含めた協議の争点は、ロシア軍の全面撤退と侵攻再開を完全抑止できる内容で停戦合意することであろう。プーチン大統領の心底は誰ものぞき得ないが、それなくして停戦したとしても実際は一時的な休戦に終わり、ロシアは戦力を再編成して侵攻が再開される可能性が高いと思われる。戦乱は長期化せざるを得ないだろう。
 翻って日本にとっては、人道上の意味合いだけでなく安全保障上の問題(地政学的視点)からも、ロシアの侵攻継続に対しては、欧米諸国と足並みを揃えて断固とした態度を貫かなければならない。それは、台湾有事が発生した場合や朝鮮半島情勢が悪化した場合、地理的に近い日本の備えとして重要な意義を有するからである。

https://www.travel-zentech.jp/

注6:
グルジア国内には、ロシア国境に接して南オセチア自治州とアブハジア自治共和国という地域があり、どちらもグルジアからの独立を求め、グルジアの実効支配が及んでいなかった。

注7:
クリミア自治共和国では住民の約6割がロシア系とされる。

注8:
クリミア半島南西部に位置する都市。首都のキエフとともに、ウクライナの特別市であったが、2014年3月17日にクリミア自治共和国とともに主権宣言した上で、翌3月18日にロシア連邦と条約を締結し、ロシア連邦の構成主体となったとしている。しかし、クリミアの独立とロシアへの編入を認めないウクライナおよび国連との間で論争が続いている。

■台湾情勢
 地政学上ではユーラシア大陸にある大陸国家を「ランドパワー」、国境の多くを海に囲まれた海洋国家を「シーパワー」ととらえ、歴史上においては大きなランドパワーを持った国がさらなるパワーを求めて海洋に進出し、シーパワーの国と衝突するといったことを繰り返している。台湾を巡る情勢の中では、中国というランドパワーと、米国や日本などのシーパワーが対峙する構図となっている。
 今、中国は「祖国統一」というイデオロギーを掲げて台湾併合を悲願としているが、地政学の専門家の間では、それが実現するならば、中国の世界展開への踏切板(Spring Board)になるだろうと考えられている。台湾が中国の一部となるならば、東シナ海や南シナ海からの海洋進出勢力圏は、インド洋や太平洋に向けて大きく開かれるのである。

 地政学においてこの論拠となる歴史的事実は、「西半球」とも呼ばれる南北アメリカ大陸において覇権(最大勢力)を確立した米国である。米国は19世紀前半に東部13州しかなかった時代から西部へ拡大し、同世紀の終盤には現在の米国本土のほぼ全域を領有すると、そこからさらに西へ太平洋を渡りハワイやフィリピンまでも勢力圏とした。この西部への動きと同時に、セオドア・ルーズベルト大統領(1901〜1909年在任)の時代に、メキシコ湾から南へと下り、カリブ海での覇権を確立した。
 カリブ海での覇権確立において注目すべきは、イギリスやフランスに加えてスペインなど当時の欧州列強の植民地がこの海域に存在していたことだが、米国はこの地域における欧州の影響を排除していったのである。
 米国にとってのメキシコ湾やカリブ海というのは、「内海(Inner Seas)」もしくは「縁海(Marginal Seas)」などと呼ばれる米国隣接海域である。このエリアのうち、「内海」に浮かぶ島であるジャマイカやキューバはとくに重視された。米国が「大国」から「超大国」になるプロセスにおいては、最初に自国に隣接した海域を獲得する必要性があり、ジャマイカやキューバはその踏切板として不可欠な存在だった。
 ジャマイカやキューバのあるカリブ海周辺から外国勢力を排除することで、米国西海岸からだけでなく、東海岸からも南に抜けて西に回り、同国が1914年に開通させたパナマ運河から太平洋を渡ってハワイ、グアム、フィリピンへと進出することが可能となったのである。ちなみに米国がハワイを領有(1898年)したのは、地政学的重要性を認識したからであり、当時の大統領ウィリアム・マッキンリーは帝国主義政策を推し進め、以後ハワイは米国の太平洋支配の拠点となり、オアフ島のパールハーバーに大海軍基地が建設された。

https://www.google.co.jp/                                                       

 これと同様のメカニズムが、現在の中国周辺海域でも働くと考えられている。米国にとってのカリブ海に相当するのが、中国にとっての南シナ海や東シナ海であり、米国にとってのジャマイカやキューバにあたるのが、中国にとっての台湾あるいは沖縄という存在である。
 GDP世界第2位で米国との差も急速に縮める中国のような大国が、世界に発展するために必要となるのは、自分の周りの国の影響力を排除すること。裏庭の勢力を排除した後は、まず周辺海域を固めて、そこから外海に展開していく。それが地政学上からみた常とう手段である。
 以前の中国は大陸内での防衛に追われ、明朝時代の一時を除いて海洋進出していく余裕はなかった。古くは、中国からみれば狂暴な騎馬民族(匈奴)が北方から来襲するため、万里の長城を築くなどして国を守ることに必死であった。中世になると、モンゴル帝国第5代ハーンのフビライ(世祖)が大都(現在の北京)に遷都して,元王朝として中国を支配。さらに、1644年から1912年までは、明王朝を滅ぼした李自成を逆賊として討伐したといわれる満州人による清王朝が支配した。そして、清王朝末期から第2次世界大戦終結までは、欧米列強や日本が中国大陸をむしばんでいた。
中国が大陸において国境を画定することになったのは、ようやく1990年代になってからのことである。当時の中国は14か国と接しており、まずロシアとの国境を画定させたのち、ベトナムとは国境争いで中越戦争を招いたものの、20世紀内にインド国境を除いたほとんどの国境を画定させるに至った。
 これで内陸での懸念が薄れると、いよいよ海外展開というところで2001年4月1日、海南島付近の南シナ海上空で米国と中国の軍用機が衝突する「海南島事件」が起こり、米中関係は一触即発状態となった。
 ところがその後、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を契機として、米国はテロ組織との戦闘に注力したため、中国や南シナ海、東シナ海への目配りがあまり効かなくなったのである。こうした状況下、中国は急速な経済発展とともに軍事力を急激に強化し、本格的な世界展開への踏切板として、東シナ海と南シナ海域における周辺国の影響力を排除する方向に向かっている。
 ちなみに、中国の習近平国家主席が「南シナ海は中国のもの」と主張する論拠は、明朝時代の永楽帝に重用された鄭和が、計7度の南海への大航海の指揮を委ねられ、その船団が東南アジア、インド、セイロン島からアラビア半島、アフリカ東海岸まで達したのであり、その航海ルートはもともと中国が支配すべき、という大胆な発想にあるという。
 そこに、ウクライナが親欧米政権になってロシアと対立するのと同様、台湾の政権が米国寄りになっていると中国が受け止めていることで、両者間の緊張が高まっている。
 台湾政界は蔡英文氏率いる与党の民主進歩党(民進党)と、対峙する最大野党で中国寄りの中国国民党(国民党)が2大勢力であるが、この二大政党の争いは国民党が圧倒的に優勢であった時代から、民進党が相対的に有利な状況に転換している。
 また、台湾の将来についての民意を、中国からの「独立志向」、中国との「統一志向」、独立でも統一でもなく民主化された台湾を「現状維持」する立場に分けると、蔡英文政権は「現状維持」を主張するが、「祖国統一」を目指す中国からすれば統一以外の選択肢はありえない。
 加えて、2016年に誕生した蔡英文政権の姿勢は、米国が台湾を支援する動きを強めるのと同時に、中国が主張する「一つの中国注9」を容認していない。今や、バイデン政権が主張する「民主主義対専制主義」の「民主主義」陣営の一員との立場も鮮明にし、台湾側から米国に接近する様子もうかがえる。さらに蔡政権は、インド太平洋地域への関与に乗り出している英国やEUなど、米国のパートナーとの連携にも期待を寄せている。
 もしも台湾有事が発生するならば、米国と同盟関係にあり台湾とも友好関係にある日本は米台に協力する立場にあり、決して対岸の火事で済まされることではない。日本自身の海洋安全保障上においても、台湾は重要な地理的位置にある。
 そうした中、近い将来中国が台湾に対して軍事行動を起こすという観測が流れているが、ロシアのウクライナ侵攻に対して団結して強い経済制裁を科している欧米や日本の姿を眺めていれば、うかつには侵攻できないであろう。中国と欧米・日本は、輸出入をはじめとする経済相互依存関係が強いため、台湾有事に欧米や日本が軍事介入しないまでも、強力な経済制裁に踏み切った場合、互いに大量の返り血を浴びせ合う泥仕合になりかねない。それよりも中国としては、防空識別圏注10に軍用機を頻繁に侵入させるなどして、台湾の中国脅威論をあおるとともに、米国は有事になっても軍事介入して来ないという観測を台湾世論に浸透させることで親中国の国民党を政権に戻す。いわゆる“戦わずして勝つ”戦法を採るのではないだろうか。
 これに対して米国は、国内法である台湾関係法にもとづいて有事の際には防衛装備品を供与するだろうが、軍事介入して台湾を支援するかどうかについては明確にしていない。いわゆる戦略的曖昧政策(Strategic Ambiguity)を採っており、それは台湾の独立支持派が暴走することを抑止する狙いからである。
 また、米国は蔡総統が中国を挑発して台湾有事の主役になることはないと信頼しているようであり、軍事衝突のレッドラインである「台湾独立」の動きを認めることはない。現状の台湾に期待したいのは、中国を過度に刺激しない(レッドラインを超えない)配慮をしつつ欧米や日本に接近するという、蔡総統の卓越したバランス感覚であり、日本にとっては、日米同盟を強固にすることや、ウクライナ戦争への対処で欧米と結束することが台湾有事の抑止へとつながるであろう。

注9:
中国と台湾は不可分であり、一つの国家「中国」であるという政治的見解。1992年に中台の両当局が口頭で合意したとされるが、この「92年コンセンサス」の「一つ」に対する双方の解釈は異なる。中国は中国共産党が建国した中華人民共和国こそが「一つの中国」であると考え、台湾は国民党が建国した中華民国に国家主権があると考える。
中国にとって「一つの中国」は同国の核心的利益に関わる問題であり、中国政府は台湾と国交を結んでいる国とは外交関係を結ばないという姿勢を貫いている。このため、日本や米国も1970年代に中国と国交を正常化させていたことから、台湾との公的な外交関係を断つことになった。ただし、これまで日本を含む多くの国は「一つの中国」に深く言及することなく、中台双方との関係を維持し続けてきた。

注10:
国防上の必要性から、各国が自国の領空とは別に定めた空域。略称ADIZ(Air Defense Identification Zone)と呼ばれる。常時防空監視を行い、あらかじめ飛行計画を提出せずここに進入する航空機には識別と証明を求め、領空侵犯の可能性があるものとみなせば、軍事的予防措置などを行使し統制するという範囲。

■朝鮮半島情勢
 朝鮮半島が大国同士のはざまに立ち、安全保障問題に苛まれることが多いのも、地政学上の特性が影響している。朝鮮半島はユーラシア大陸において、地政学的にはランドパワーである中国やロシアという大国に隣接しており、沿岸部にあるリムランドと位置づけられる。
 また、日本海を囲むかたちでシーパワーの日本と接し、これに在韓・在日米軍が駐留するかたちで同じくシーパワーの米国とも関わる。つまり朝鮮半島を巡る環境は、中国とロシアというランドパワーと、日本とアメリカというシーパワーがにらみ合う地域となっているとともに、双方にとっての安全保障上の緩衝地帯注11となっている。
 朝鮮半島(当時は大韓帝国)は、1904年の日露戦争を経て1910年に日韓併合というかたちで日本の植民地になり、1931年の満州事変や1937年からの日中戦争では日本から中国への兵たん路として重要な役割を担った。終戦間際の1945年8月9日にはソ連が参戦し、このときのソ連の進出先は第一に中国東北部(満州)であったが、8月12日には北朝鮮への進攻が行われている。
 日本の敗戦という形で終結したこの戦争の結果、朝鮮半島は日本の支配から解放されたが、ほぼ同時進行的に発生した米ソによる冷戦は、朝鮮半島を南北に分断し、1948年に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が誕生する。1950年にはソ連および中国の支援を受ける北朝鮮と、米国の支援を受ける韓国との間で朝鮮戦争が勃発。そして、1953年に休戦協定を締結するが、東アジア冷戦は固定化して現在に至っている。

https://bunpon.com/                                                         

 同じ民族が韓国と北朝鮮に分断されている状況下、「南北統一」は朝鮮半島にとって大きな課題であるが、地政学からみた安全保障上の問題や、両国の経済力格差の問題、政治体制の違いなどから、近い将来での統一は実現可能性が低いとみられるのが一般的である。
 まず、南北統一を韓国と北朝鮮のどちらが主導して実現するのかというプロセス上の課題が、日・米・中・ロシアの安全保障と関連して横たわっている。民主主義国家の韓国が主導するのであれば、韓国の後ろ盾となっている米国や日本にとっては、安全保障上の緩衝地帯が朝鮮半島全域に拡がるので望ましいことだ。しかし、中国やロシアが後ろ盾となっている専制主義の北朝鮮が主導するならば、立場は真逆となり日米はランドパワーの脅威に晒される。ミサイルや核の脅威がさらに高まることも言うまでもない。だからこそ、中国やロシアは北朝鮮を支援し、日米韓の三者関係を揺さぶるような工作も仕掛けてくる。
 これに加え、韓国と北朝鮮の経済格差が南北統一を一層困難にしている。南北分断後、ソ連の援助を受けて重工業化を急速に推進した北朝鮮は、1973年まで1人あたりのGDPが韓国を上回り、経済成長率も1970年代半ばまでは高い成長率をみせていた。しかし、2020年6月25日、朝鮮戦争勃発70周年記念式典の演説で韓国の文在寅大統領が「我々のGDPは北朝鮮の50倍を超え、貿易額は400倍を超えた・・・。」と述べるなど、今や両国の格差は歴然である。
 経済的に断然優位な韓国が統一を主導するのは一見当然のようにみえるが、この格差を穴埋めするのも韓国の責務ということになる。官・民が協力して北朝鮮地域のインフラ整備や産業振興のために巨額な投資をする必要があり、財源の乏しい北朝鮮住民の社会保障制度の整備・拡充のための費用も負担して、生活水準の引き上げを計らなければならい。
 ところが、韓国では国内問題として若年層を中心に厳しい雇用情勢に直面している。加えて人口減少注12による社会保障制度への不安もある。若年層にすれば「南北統一を論じる以前に、政治家は将来への不安を何とかしてほしい」というのが本音であろう。
 そして、民主国家の韓国と専制国家の北朝鮮という、政治体制の違いが抜本的な課題である。韓国が民主化されたのは、1987年の民主化後の憲法改正で大統領直接選挙制が導入され、「民主化宣言」を発表した軍人出身の盧泰愚氏が大統領に就任して以降のことである。それ以前の26年余りは軍部による独裁政権であった。一方、北朝鮮は朝鮮労働党による事実上の一党独裁体制下にあり、最高指導者は金日成から、金正日、金正恩へと世襲が続いている。世界的にみると、社会主義国家であっても最高権力者の世襲は稀有であり、北朝鮮は特異な体制を敷いている。
 両国のどちらが主導して南北統一を図るのかという問題とも直結するが、韓国が主導する場合には、当然民主主義国家を想定するであろうし、北朝鮮が主導する場合には朝鮮労働党による統一を志向するであろう。
 しかし、万一韓国の政権が北朝鮮主導を容認したとしても、自由が保障された民主主義に慣れている韓国国民や、資本主義による自由な経済活動で発展した財閥を中心とする韓国財界が、社会主義による統制社会を受容することはありえない。一方、核開発や度重なるミサイル実験などで国際社会から厳しく非難されている北朝鮮の金正恩政権からみれば、体制維持のみならず自らの生命にも関わる問題であり、絶対に譲れない。
 米国の歴史家であるコネチカット大学のアレクシス・ダテン教授は、「朝鮮半島の歴史を振り返ると、彼らはこれまで強い者に高い忠誠を示してきた」という。韓国は、文在寅政権が将来の南北統一へ強い意欲を持っていたのに対し、次期大統領の尹錫悦氏は北朝鮮には強い態度を示し日米との関係は修復する方針を打ち出している。今はまだ祖国統一よりも、2つの大国である中国や米国との駆け引きに重点を置くステージであろう。同様に北朝鮮も米国と中国のどちらと組むとメリットが大きいのか、見極めがつかずに揺れている状態かもしれない。そのなかで、北朝鮮は核とミサイルにより、自国の防衛力強化と国連が科している経済制裁を解除する必要性から、米国の注意を惹いて交渉のテーブルに着かせるための挑発を繰返している。
 一方、ウクライナ情勢や台湾情勢を鑑みると、米・中・ロシアも今のところは朝鮮半島情勢にまでは十分に手が回らず、南北統一よりも分断されたままの朝鮮半島が維持され、緩衝地帯として機能したほうがベターと考えるのかもしれない。
 地政学的には、シーパワーとランドパワーの友好的両立は困難とされている。すなわち、シーパワーの米国とランドパワーの中国やロシアとは、いずれかが衰退しない限り半永久定期ににらみ合う可能性がある。しかし将来、米・中・ロシアが同意したうえで南北が統一されることになるならば、朝鮮戦争が完全終結することを意味し、朝鮮半島に武力は不要となる。半島から核の懸念も排除され、北東アジアの平和に貢献するであろう。そのことを切に願いたい。
 そして、地政学が脚光を浴びなくても済むような社会が世界中に訪れるならば、真の人類平和へとつながるであろう。

注11:
大国や大きな文化の核に挟まれた国や地域のことをさす地政学用語。地理的にこのような地帯を挟むことで、対立する国家間の衝突をやわらげる効果が期待される。
注12:
韓国の2021年の合計特殊出生率は0.81(暫定値)で、1970年に統計を取り始めてから最も低く、1を下回るのは4年連続。OECD加盟国で1を下回るのは韓国のみであり、日本の1.34(2020年)と比べても異例の低水準である。
韓国では2000年代初めから少子化が大きな社会問題として浮上したが、晩婚化が進むうえに非婚主義も一部で広がっている。子育て世代にとっては、高騰する住宅費や教育費といった経済的負担の重さも、出産をためらわせる大きな要因になっている。

「サクッとわかる ビジネス教養  地政学」奥山真司
「グルジアという国 ロシアと欧州にはさまれた独立国家」外務省ホームページ
BUSINESS INSIDER Mar. 08, 2022https://www.businessinsider.jp/post-249700
「地政学―アメリカの世界戦略地図」奥山真司訳
「台湾政治の長期的変化と蔡英文政権」小笠原欣幸
「台湾・蔡英文政権の日米連携と展望」石井利尚
「朝鮮半島における地政学的リスク 日米同盟へのインプリケーション」長島純
「朝鮮半島理解の基礎」福山悠介
「韓国と北朝鮮の経済力比較」上澤宏之
「南北統一にメリットはあるのか」酒井吉廣
「週刊ダイヤモンド2022.3.6 特集 地政学超入門」