失敗という学習資源

2021年3月30日 / 主任研究員 野崎 由香理

 WHOが新型コロナウイルス感染症の流行を「パンデミック」と発表して約1年が経過した。この間、再び注目を集めた書籍が『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(以下、『失敗の本質』)である。
 『失敗の本質』は1984年に初版刊行され、現在までに75万部を超えるロングセラーであるが、2011年の東日本大震災直後の4カ月間に4万部、2020年3月以降は計2万5000部が増刷されている。危機的な状況において先行き不透明感が強くなると、多くの日本人が『失敗の本質』を手に取るのは、いかなる心理であろうか。
 『失敗の本質』は、第二次大戦期の「戦い方」「敗け方」について、日本軍の組織的特性を研究対象としている。当然ながら米軍と比較した日本軍の戦略や組織特性は課題が多い。しかし、『失敗の本質』が示す組織の課題は、日本固有の問題でもなければ、日本人というパーソナリティに起因するものでもない。たとえば1986年に起きたスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故や2003年の「コロンビア号」の大気圏突入時の爆発事故後、米国の事故調査委員会が指摘したNASA組織の問題は、『失敗の本質』が示す日本軍の敗戦プロセスに驚くほど符合する。それぞれの組織構造と組織文化が組織にどのような学習を促し、悲劇的な結末を迎えたかを対比するとよくわかる。

● タテ割りの組織構造
– 日本軍の大本営は陸・海軍を統合的に検討できる仕組みにはなっておらず、むしろそれぞれの利益追求を行う協議の場に過ぎなかった。
– チャレンジャー号の爆発時に破損した部品を納入していたチオコール社の技術者は、打ち上げの中止を勧告した。しかし3つの独立した宇宙センターと4階層以上うえの機関に飛行計画の修正を受け入れさせることは不可能だった。
● 集団凝集性の高い組織文化
– 日本軍には陸軍の「白兵銃剣主義」、海軍の「艦隊決戦主義」が確立していた。毎日の訓練によって、それは「神技」と呼ばれるまでに磨き上げられた。
– NASAは月面着陸を実現したアポロ計画、奇跡的な生還を果たしたアポロ13号計画などを通じて、いかなる困難でも克服し、計画を成し遂げることができる「WE CAN DO」(為せば成る)という組織文化を形成していた。
● 組織の迷信的学習
– 日本軍はガダルカナル戦以降、火力重視の必要性を認めながらも「白兵銃剣主義」による銃剣突撃主義から脱却できなかった。「艦隊決戦主義」の海軍も最後まで大艦巨砲の威力が発揮されるときが来ると信じていた。
– 試験飛行から帰還したシャトルは毎回傷だらけであったが、「WE CAN DO」文化をもつNASAの技術陣が必死で期限内に補修すると、経営陣はさらに厳しい時間的・予算的制約を課すという悪循環が繰り返され、その緊張関係が破たんしたのがコロンビア号の事故だった。事故調査委員会は、事故の原因をNASAの「WE CAN DO」の組織文化にあると結論づけている。

 もっとも、このような分析からタテ割りのエリート組織を安直に批判するのは差し控えたい。組織は基本的に低次学習を進んで行う傾向にあり、高次学習が行われることは極めてまれというのは、組織学習に関する多くの研究が明らかにしている。
 組織はどのようにして既存の認知枠組みを変えられるだろうか。ここでは高信頼性組織(HRO)研究の知見を手がかりに検討したい。HROとは、米国海軍の航空母艦など高いリスク環境におかれながら優れた安全パフォーマンスを達成する組織である。
 HROの組織構造は、通常は中央集権化しているが、繁忙時には権限が柔軟に分散する。情報伝達は何重ものコミュニケーション回路をもち、複数の情報源が相互にチェックされている。
 HROの特筆すべき組織文化は、ミスに対する徹底した学習である。たとえば航空母艦内でボルトが1本紛失すると全艦あげて捜索し、紛失を報告した船員の勇気を表彰し、全員でたたえる。ミスの少ない組織は、ミスから学習する機会が漸減するため、ささいなミスから徹底的な背景分析を行い、深く学習しようという熱意が加速する。
 1999年に「心理的安全」という構成概念を提唱したエイミー・C・エドモンドソンは、コロンビア号の爆発事故を「職場で率直にものを言わない、とりわけ確信のない懸念や根拠のない考えに関して口を閉ざしているという、ありがちな組織ダイナミクスの悲惨な結果を反映している」と指摘した。

 パンデミックの閉塞状況が続くなかで先行研究が示唆するのは、組織構造に正解はなく、重要なのは状況に応じていかに柔軟に組織を運営することができるかというシステムへの注目である。そして組織学習を成功へ導くのは「心理的安全」という職場の土台である。「心理的安全」は、ここ数年、イノベーションへの期待から注目度の高い概念ではあるものの、「単純ミスは許されないが、挑戦による失敗は許容する」という失敗を選別する風潮には注意したい。組織で起きる失敗の多くは(独立した個人の能力に帰属するというよりは)相互依存的であり、あらゆる失敗は組織の学習資源として獲得することができるのである。

*参考文献・資料
1. Amy C. Edmondson, (2012), “How Organizations Learn, Innovate, and Compete in the Knowledge Economy” Jossey-Bass (野津智子訳『チームが機能するとはどういうことか』英治出版)
2. 福島真人(2010)『学習の生態学―リスク・実験・高信頼性』東京大学出版会
3. 桑田耕太郎(2008)「組織理論と経営者の責任 : スペースシャトル事故の分析を通じて」成城大学経済研究 (179), 47-72, 2008-03
4. 戸部良一ほか(1991)『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』中央公論新社
5. SankeiBiz(2020.09.19)「旧日本軍の弱点分析『失敗の本質』に再注目 日本の調子が悪くなると売れる?」