月を愛でる

2021年3月3日 / 主任研究員 奥村 令子

1月の末、冬の澄んだ空にあがる満月を見ていた。綺麗な月を見ると、なぜか必ず歌舞伎の演目が頭に浮かぶ。演目は、三島由紀夫による「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」 と河竹黙阿弥による「十六夜清心(いざよいせいしん)」。どちらも先日最終回を迎えた大河ドラマで天皇役を演じられた坂東玉三郎丈と関わりが深いが、どちらも話の筋自体は月と関係はない。前者は主人公が弓の名手であることからの「ゆかりのある」 「弓張月」であるし、「十六夜」は根が清らかな女性の名前である。ただ「弓張月」、「十六夜」のどちらも月の呼称ではある。

太陰暦を用いたかつての日本では、月の満ち欠けの周期に合わせ日にちを数えていた。月が見えない新月を1日、毎月15日の十五夜はほぼ満月、その次の16日目が十六夜で、満月から50分遅い月の出が、ためらう=いざように感じられ、その名がついた。弓張月は「弓を張ったような形をした月。上弦、または下弦の月」 。このほかにも二日月、十三夜月、立待月、居待月、寝待月など、それぞれの月に名前がついている。

ちなみに9月(旧暦8月)の十五夜のお月見は中国が起源というが、翌10月(旧暦9月)の十三夜は日本で始められた行事という。中国語に堪能な同僚に尋ねたところ、現在の中国では「新月、娥眉月、上弦月、满月、下弦月、残月」を使うという。また、旧暦16日の月については「十五的月亮十六圆」(十五夜の月は、十六日の方が丸い=旧暦15日は満月と言われているが、最も丸いのは16日の夜)」という表現があるそうだが、日本のアニメや漫画にも登場する人物名としての「十六夜」 はなじみがないらしい。

ところで小林秀雄は、知人から「月見などに全く無関心な若い会社員」も含めた酒盛りの宴が、月の出とともに「一座は、期せずしてお月見の気分に支配された」。その一変した雰囲気を同席していたスイス人たちが理解できずに「今月の月には何か異変があるのか」と尋ねられたという話をつづっている。そして「お月見の晩に、伝統的な月の感じ方が、何処からともなく、ひょいと顔を出す」、「私たちが確実に身体でつかんでゐる文化はさういうものだ」と述べている 。

月と結びついた神話や伝説・イメージは世界中にあまた存在するが、普遍的なものと、その土地固有のものがある 。漫画やアニメに登場する月の呼び名は、時を経ても受け継がれる、文化に根差した感受性の表れかもしれない…などと考えていた矢先、さきほど(2021年2月19日)、NASAの火星探査車「パーシビアランス」が火星に無事着陸した、というニュースが飛び込んできて、現実に引き戻された。

今、国際的な宇宙探査の流れは、月、火星および深宇宙(地球からの距離が200万km以上)に集約されつつある 。なかでも月は、その先の宇宙への足掛かりとして、持続的な探査活動が計画されている。インドや中国も月・火星探査や有人探査を進める中、アメリカが進めるのが「アルテミス計画」である。アルテミスとは、ギリシア神話における月の女神であり、太陽神アポロの双子の妹の名である。
この計画では、2024年に有人月面着陸を、2030 年代に有人火星着陸を目指し、2026年を目標に月面探査や火星探査などのため月の周回軌道上に有人拠点「ゲートウェイ」を完成させる。日本も、オーストラリア、UAE、ルクセンブルグなど6か国とともに参画し、「ゲートウェイ」の居住棟建設や物資供給、月面探査車(燃料電池車両技術を用いたJAXAとトヨタ自動車による共同開発)などで協力する。ジェフ・ベゾスが設立したBlue Originやイーロン・マスクが設立したSpace Xなど多くの民間企業も参画している。実現されれば、1969年~1972年のアポロ計画以来の有人の月面探査となる。ちなみに、「ムーンショット」とは実現困難な壮大な目標にイノベーションをもって挑むことであり、1960 年代のうちに宇宙飛行士を月面に送り彼らを無事に帰還させるという、ジョン ・F・ ケネディ大統領によるアポロ計画に由来している。

宇宙に関する技術は、地上の暮らしとビジネスに無関係ではない。地球観測衛星は大気中の温室効果ガスの全球での網羅的な収集や、洪水や地震・津波などの被災把握を行う。日本のみちびき(準天頂衛星システム)は衛星からの電波によって位置情報を計算し、歩行から鉄道・飛行機・船舶に至る移動を支援する 。断熱材や空気清浄機、燃料電池も宇宙で開発された技術らしい 。そういえば、アウトドアメーカーがアウターに使用するインサレーションの一つはもともとNASAが技術開発したものである。今回の宇宙開発では、日本企業もビジネスチャンスを求めて事業活動を展開し始めている。直接計画にかかわらないビジネスであっても、宇宙に関する技術シーズとステークホルダーのニーズのマッチングは、これまで以上に求められてくると思う。

ただし、宇宙での探査・開発・利用はすべてがバラ色ではない。さまざまな法・政策的、倫理的、社会的問題がある 。すでにスペースデブリ(宇宙ゴミ)と呼ばれる、地球周回軌道に存在する役目を終えた人工衛星やロケットは年々増加し問題となっている。宇宙を最後のフロンティアとして大航海時代よろしく宇宙に進出していくことも抵抗がある。
ムーンショットと呼ばれるSDGsの実現のためにも、いつまでも静かな気持ちで月を愛でられるためにも、月の平和的で持続可能な開発を願ってやまない。

 

1    原作は「鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月」。曲亭馬琴作・葛飾北斎画による江戸時代の読本
2    三島 由紀夫「椿説弓張月」中央公論社 (1970/1/1)
3    デジタル大辞泉
4    https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%A4%9C?from=niconews
5    小林秀雄「お月見」 『考へるヒント』文藝春秋新社 (1964/1/1)/『日本の名随筆 58 月』作品社(1987/8/25)
6    ジュールズ・キャッシュフォード「月の文化史 上・下」柊風社(2010/2/18)
7    科学技術・学術審議会「国際協力による月探査計画への参画に向けて」(2019/8)
8    https://qzss.go.jp/usage/index.html
9    政府インターネットテレビ https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg22068.html?nt=1
10  京都大学SPIRITS「将来の宇宙探査・開発・利用がもつ倫理的・法的・社会的含意に関する研究調査報告書」(2018/2/23)