音楽会場の「聖地」化

2025年8月1日 / 研究員 六鹿 マリ

先日ある女性アイドルのライブを観に日本武道館(以下、武道館)を訪れた。常日頃から男女問わずアイドルの応援をライフワークとしている筆者だが、実は武道館に行くのはこれが初めてのことだった。
武道館といえば、「音楽ライブの聖地」という印象が一般的に持たれているかと思う。それはアイドル業界においても例外ではなく、アニメ化・実写化もされた人気漫画『推しが武道館いってくれたら死ぬ』(注1)のタイトルからも見てとれる。ライブの内容も素晴らしかったうえに、ずっと憧れを持っていた「武道館でアイドルを観る」ということがようやくかなったうれしさも大きく、思い出に残る体験となった。

ところで、武道館が「音楽ライブの聖地」と言われるのはなぜなのだろうか?
武道館はその名の通り、「武道を国民とくに青少年の間に普及奨励」することを目的につくられた施設であり、そのこけら落としとなったのは、1964年の東京オリンピックにおける柔道競技の実施であった(注2)。
このように「日本武道の聖地」として誕生した武道館に、「音楽ライブの聖地」というイメージがつくきっかけとなったのは、ビートルズが1966年に行なった来日公演だと言われている。その後、エリック・クラプトンやクイーンといった海外の人気アーティスト、また西城秀樹や矢沢永吉といった国内の人気アーティストも次々にライブを開催した。さらに、デビューの周年記念や解散ライブといった特別な公演が行なわれることも多く、そういった歴史の積み重ねもあって、武道館の「聖地」としての立ち位置はゆるぎないものになっていったと考えられる。
一方で、機能面に目を向けてみると、音楽会場としてつくられたわけではないため、当然ながら音響設備等にはやや難があるということは周知の事実だ。それでも、そうした施設特有の弱点をカバーするために音響機材を持ち込む等の手間をかけてでも、多くのアーティストが武道館での公演を熱望している。

ここで、これからの大規模会場が武道館のように「聖地」化する可能性について考えてみたい。皆が同じ音楽に熱狂していた時代と違い、昨今は好みの多様化・分散化が顕著だ。特にアイドル業界は十数年前から戦国時代と言われ、群雄割拠の様相を呈している。ビートルズがかつてそうであったような、存在そのものが会場に箔をつけるほどの国民的スターというのはなかなか思い浮かばないように感じる。つまり、情緒的な意味での「聖地」化は、これからの時代難しいのではないだろうか。
となると、機能面において強みを持つことの重要性が増してくると考えられる。ただでさえこのSNS時代においては悪評があっという間に広がっていき、以前“推し劇場”に関するコラムでもふれたように、「行きたくない会場」として烙印らくいんを押されてしまう。実際、全国ツアーで他の会場はチケットが完売しているのに、見づらいとされる会場は人気がなく売れ残るということも耳にする。それを回避するためには、まずは視界や音響といった基本的な部分でなるべく不満が出ないようなつくりにすることが大切だ。そのためには、例えば客席からのステージ視認性をシミュレーションするシステム(注3)の活用や、設計段階からライブ音響の有識者と協働する、といったことが考えられる。

スポーツの成長産業化に向けた政府の施策や、Bリーグの機構改革などを追い風に、国内各地におけるアリーナ・スタジアムの新設・改修ラッシュはしばらく続きそうだ。スポーツの試合数は限られている以上、施設稼働率を高めるためには音楽ライブをはじめとしたイベントの実施が重要になってくる。武道館でライブが行なわれるようになった当時は、屋内の1万人規模会場というとそれほど選択肢はなかったかもしれないが、今や全国におよそ50か所を数え、1都3県だけでみても10か所を超える(注4)。いかにアーティストやファンを満足させ、選んでもらえるかが課題となるだろう。
公演から得られる感動を余すことなく客席まで届ける、あるいはさらに増幅させる――、機能面において来場者を圧倒し「聖地」と呼ばれるような会場が新たに誕生し、音楽ライブの体験価値がますます向上することを一観客としても期待している。

注1:岡山市を拠点とする女性地下アイドルグループとそのファンを描いた作品。通称「推し武道」。(作:平尾アウリ、『月刊COMICリュウ』(徳間書店)にて連載中)
注2:日本武道館 公式サイト(https://www.nipponbudokan.or.jp/)より
注3:『「見えない劇場」はなぜ生まれる? 見え方を検証するパナの新技術に迫る(Impress Watch)』(https://www.watch.impress.co.jp/docs/topic/1500146.html)より
注4:『ライブコンサート会場総合サイト ライブ部』(https://www.livebu.com/)をもとに筆者集計(2025年7月31日時点)。舞台構造や客席配置等による変動が大きいため、収容人数は8,000~15,000人、かつ屋根のある(開閉式含む)会場を集計対象とした。